心は脳みそ君なのか?心の社会とミンスキー博士

心=脳である?

「心=脳なのか?」

これは過去からずっっと続いている大きな疑問です。

最近、チベット僧を始めとした僧侶の脳を科学的な測定器で計測する試みがなされています。

それにより、瞑想状態の脳が科学的に解明されてきました。

例えば、世界一幸福な脳を持つとされる人物がいます。彼の名はマチウ・リカールです。フランス人僧侶で、父は哲学者です。

彼の脳を計測すると左前頭前皮質の発火が著しいことがわかりました。

左前頭前皮質は利他で発火する部位でもあり、実験中、マチウはいくつかの瞑想を行いましたが、発火が著しかったのは、慈悲の瞑想でした。

つまり、利他の精神状態にある時に、人間は最も幸福を感じると脳科学研究で示されました。

科学者にとって人の心は脳活動の産物であり、情報処理の結果生じたものにすぎません。

・心=脳

心=脳ではない?

一方、このような「心=脳」として人間を見る科学者に対して、僧侶たちはどう思っているのでしょうか?

ある僧侶は「科学者が頭に検査用具をつけて、データをとっているうちは我々が理解している心に追いつくことはないだろう」という趣旨のことを言っています。

僧侶のような精神修行を行なっている人たちは、科学者の研究方法では心の真実にたどり着くことはないだろうと考えているわけです。

・心=脳ではない

このように脳科学者と僧侶の立場は真逆ですが、ダライ・ラマを代表とするチベット僧侶たちが近年の研究に協力していることもあり、脳機能の科学的研究は飛躍的に進歩しています。

やはり心=脳?

脳科学の分野でいうと、人工知能学の人たちは脳をどう考えているのでしょうか?

人工知能の父と呼ばれる人には、マサチューセッツ工科大学のマーヴィン・ミンスキー、イエール大学のロジャー・シャンク、カーネギーメロン大学のハーブ・サイモンの三人がいますが、「心の社会」「脳の探検」などの著作で有名なマーヴィンミンスキー博士は、「人間は機械である」とはっきりと言っています。

人工知能学は脳科学研究とも言えますから、これは当然だと言えるでしょう。

・心=脳

では、次に、心理学の世界はどうでしょうか?

基本的には心理学の世界でも、

・心=脳

と考えます。

特に最近はエビデンス・ベイスド・アプローチが提唱されており、科学的根拠のある心理療法が求められています。

心の動きの科学的根拠は、基本的に脳に求めるわけですから、現代の心理学が目指す論理のベースには「心=脳」という図式が存在します。

やはり心=脳ではない?

しかし、臨床心理学はそうとは限りません。
臨床心理学の一大学派である精神分析は、

・脳=心ではない

と考えます。

精神分析はフロイトを創始者とする学派で、力動的心理学とも呼ばれます。

力動とはエネルギーのことを指します。

リビドーには「愛」と「アグレッション」があって…

という話をすると長くなるので割愛しますが、精神分析では人と人とのエネルギー交流を扱う学派です。

そこに「脳がどう動くか?」という視点は基本的には入って来ません。

心の社会

ここまで、「心は脳である」と考える立場と、「心は脳ではない」と考える立場の2つを見てきましたが、結局答えは出ませんでした。

では、心とは一体何なのでしょうか?

先に述べた人工知能の父であるマーヴィン・ミンスキー博士は、著書「心の社会」の中で、エージェントという概念を用いて、人間の心を説明しています。

エージェントは1つの能力しか持たない心なきものであり、例えば、「積み木をする」という幼児の活動には、「積み木を見つけるエージェント」、「積み木を運ぶエージェント」、「積み木を乗せるエージェント」など様々なエージェントのパーツが組み合わさることにより、達成されます。

積み木に限らず、人間の心はエージェントが集まって活動することによってつくられていると考えます。

さらにミンスキー博士が言う「心の社会」は、このエージェントが人間の心をつくりあげるということにとどまらず、人間をエージェントとしてみることで、「社会=人間というエージェントが集まったもの」という意味も含んでいます。

心とはミンスキー博士のいうようにエージェントの集まりであるのか?

それは誰にもわかりませんが、一つの認知科学の考え方として参考になるものだと少なくとも僕は感じます。

 

<参考文献>

・チャディー・メン・タン (2016).サーチインサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

・マーヴィン・ミンスキー(1990). 心の社会 産業図書

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